3月18日から開催される第97回センバツ大会。
本大会の優勝候補として注目されるのが神奈川の横浜高校です。
奥村頼人投手や織田翔希投手などのタレント軍団を主将として束ねるのが阿部 葉太選手です。
前チームでも異例の2年生キャプテンとしてチームを引っ張った阿部選手。
中学時代の愛知豊橋ボーイズでも主将を務めたキャプテンシー豊かな名選手です。
左打席から放たれる豪打でプロ野球スカウトからも注目される阿部選手は
どのような球歴の選手なのでしょうか?
阿部 葉太 | あべ ようた |
出身 | 愛知県田原市 |
生年月日 | 2007年 8月6日 |
身長/体重 | 179㎝ 84㎏ |
投打 | 右投げ 左打ち |
小学校 | 田原東部小学校 |
中学校 | 田原東部中学校(愛知豊橋ボーイズ 所属) |
愛知県田原市の出身
スポーツ少年団で野球を始める
阿部選手は愛知県田原市の出身。田原東部小学校時代に地元の軟式野球チームで野球を始めました。
父はボーイズリーグの審判
父の一彦さん
普段は愛知県内の中学硬式野球のボーイズリーグや高校野球の審判を務めています。
阿部家ではプロ野球のテレビ観戦が日常の光景だったといい、「葉太はオリックスや西武の試合をよく見ていた。イチローさんのジクソーパズルも一緒につくったな」とのお話です。
中学時代は愛知豊橋ボーイズで主将として活躍
愛知豊橋ボーイズ
中学時代は愛知豊橋ボーイズに所属して硬式野球に親しみました。
3年生時にはチームの主将に就任し、ボーイズ選手権2022 でベスト8まで進出。

引用:愛知豊橋ボーイズ HPより
先輩のメッセージで横浜への進学を決める
進学先として横浜高校を選択した理由は?
父の一彦さんはこう語りました。
進学先を決めたのは中学2年の夏。ボーイズ卒業生で横浜出身の立花祥希(国学院大)が練習に来て「甲子園に出たいという気持ちはすごく大事だが、どこのチームを選ぶかも重要」とメッセージを残した。
「この言葉で横浜に行こうと決心したのでは」と推測する。一彦さんは県内の強豪校を進めたが、2年冬に「やっぱり横浜に行きたい」と告げられた。
引用:東愛知新聞 より
横浜高校での戦績は?
1年春からベンチ入り
阿部選手は横浜に進学すると早くも1年春からベンチ入りを果たします。
夏の神奈川大会は背番号20をつけながら、5番センターでレギュラーに。
チームは決勝まで進むもこの年甲子園で優勝することとなる慶應義塾に逆転負け。
1年生での甲子園出場まであと1歩でした。
1年の秋は神奈川県で準優勝し関東大会へ。
しかし、ここでも初戦で花咲徳栄に8-6で敗れセンバツは絶望的に。
異例の2年生主将に
2年生の5月に村田監督から主将を任されることに。名門校としては異例の2年生キャプテンが誕生。
夏の神奈川県大会は、決勝に進出するも東海大相模に逆転負け。
明治神宮大会優勝
秋の新チーム結成後、奥村頼人(2年)と織田翔希(1年)を中心にした投手陣と強打がかみ合い神奈川県大会で優勝。関東大会でも決勝で健大高崎を延長タイブレークでくだし優勝を飾り、センバツ選出を確実としました。
関東大会優勝で臨んだ明治神宮大会優勝でも明徳義塾、東洋大姫路とのロースコアの接戦を制し、決勝でも広島商を破って優勝しました。
2024年 秋の公式戦で15連勝
2024年 神奈川県大会 | 地区予選 | 〇 8-1 横須賀 | |
〃 | 地区予選 | 〇 16-0 柏陽 | |
〃 | 地区予選 | 〇 8-1 横浜瀬谷 | |
〃 | 2回戦 | 〇 13-0 金沢 | |
〃 | 3回戦 | 〇 7-0 柏木学園 | |
〃 | 4回選 | 〇 6-0 湘南工大付 | |
〃 | 準々決勝 | 〇 6-1 武相 | 織田→奥村のリレー |
〃 | 準決勝 | 〇 9-0 横浜隼人 | 7回コールド |
〃 | 決勝 | 〇 5-2 東海大相模 | 織田→奥村のリレー |
2024年 関東大会 | 準々決勝 | 〇 2-0 東農大二 | 織田、2安打完封!! |
〃 | 準決勝 | 〇 3-2 浦和実 | 奥村先発、織田が締める |
〃 | 決勝 | 〇 4-3 健大高崎 | 延長10回タイブレーク |
2024年 明治神宮大会 | 準々決勝 | 〇 2-0 明徳義塾 | 織田、2安打完封!! |
〃 | 準決勝 | 〇 3-1 東洋大姫路 | 延長11回タイブレーク |
〃 | 決勝 | 〇 4-3 広島商 | 織田→奥村のリレー |
横浜清陵とともにセンバツ甲子園へ
1月24日のセンバツ選考委員会において横浜高校の第97回センバツ大会への出場が正式に決まりました。また、21世紀枠として同じ神奈川の横浜清陵高校が選出され 神奈川からダブル出場となりました。
「甲子園優勝5回を誇る名門・横浜高校」と「神奈川の県立高・横浜清陵高校」とまったく対照的なチームですが、
実は、横浜の村田監督と横浜清陵の野原監督は昔からの大親友とのこと。
村田監督が県立白山、野原監督が県立大師の野球部監督だったことに知り合い、「県立校が甲子園へいく」ことでたびたび意見を交わした仲。
今回も、センバツ出場が決まった翌々じつに横浜の村田監督が横浜清陵のグランドを訪れ、選手を激励しました。

横浜のキャプテン 阿部 葉太 選手の球歴 まとめ
阿部 葉太 | あべ ようた |
出身 | 愛知県田原市 |
生年月日 | 2007年 8月6日 |
身長/体重 | 179㎝ 84㎏ |
投打 | 右投げ 左打ち |
小学校 | 田原東部小学校 |
中学校 | 田原東部中学校(愛知豊橋ボーイズ 所属) |
愛知県田原市出身の阿部葉太 選手。
名門で2年生の春からキャプテンを任されるという異例の選手です。
そのキャプテンシーはもちろんのこと、1年生から5番を務める強打も注目です。
プロ野球スカウト注目の選手でもある阿部選手の活躍から目が離せませんね。
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