21世紀枠での出場となる神奈川県立横浜清陵高校。野球部監督は野原慎太郎さんです。
この野原監督の経歴がとてもユニークと話題です。
高校時代は東海大相模の控え投手としてベンチ入りし2000年の第97回センバツ大会、甲子園で優勝しています。大学は推薦で私学の強豪へ進学かと思いきや、猛勉強をして国立の横浜国大に現役で合格。
横浜国大では野球部で活躍する一方勉学に励み、自分の専門分野として家庭科を選択し、教員免許を取得。
卒業後は家庭科教諭として神奈川の県立高に赴任します。
赴任先の高校では、弱かった野球部を辛抱強く強化。私学の強豪ひしめく神奈川で幾度もベスト8まで進出し、その存在感を高めつつありました。
都会にある普通の公立校野球部の取り組みが評価され21世紀枠での甲子園を掴みました。
今回は、野原監督の経歴をまとめてみました。

野原 慎太郎 | のはら しんたろう |
出身 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1982年8月25日 |
中学校 | 大和市立つきみ野中学 |
高校 | 東海大相模 |
大学 | 横浜国立大学 |
赴任高校 | 根岸 → 大師 → 横浜清陵 家庭科教諭 |
東海大相模で甲子園優勝を経験 2000年第72回センバツ
門馬監督の東海大相模へ
野原監督は大阪府豊中市の出身。1982年生まれの42歳です。
その後、神奈川県に転居して大和市立つきみ野中学から神奈川の強豪・東海大相模へ進学をしました。
入学時は村中秀人監督(元・東海大甲府監督)。2年時から門馬敬治監督にかわります。
3年生になると春のセンバツに背番号10を着けベンチ入り。チームは優勝します。
甲子園の5試合中4試合でエースの筑川 利希也 投手が完投し、唯一、準決勝で点差が開いたあと控えの山本投手にリレーしただけで、野原投手の甲子園での登板はありませんでした。
3年の夏はライバル投手との競争に敗れベンチ入りを逃し、チームをサポートする位置で戦いますが準々決勝で神奈川商工に敗れ夏の甲子園出場はなりませんでした。
甲子園で優勝したことも、最後の夏にベンチから外れたことも監督となった今に大きく生きる経験だったと思います。
野球部引退後、猛勉強を開始
甲子園優勝を経験した高校球児が野球推薦で私学の強豪へ進学、というのが普通のルートだとおもいますが、野原監督は違いました。
野球部引退後から猛勉強を開始して、なんと現役で横浜国立大に合格。甲子園で優勝を経験した高校球児が現役で横浜国大に進むのはかなり稀な事でしょうね。
横浜国立大学へ 大学院まで進む
横浜国立大学の野球部とは
横浜国大の野球部は現在、「神奈川大学野球連盟」に所属しています。2024年春季リーグ戦は1部で戦い1勝10敗の最下位。2部優勝の松蔭大との入れ替え戦を2勝でくだして1部残留をしています。1部の上位としては桐蔭横浜大、横浜商大、神奈川大、関東学院大です。
野原監督が3年春にそれまで負け続けた関東学院大から1勝をあげ、神奈川大からは勝ち点を奪うまでにチームが成長したとのこと。
「野球推薦の選手が集う強豪相手に国立大が挑む」という構図は「東京六大学」の東大、「関西学生野球」の京大と立ち位置が同じですね。
横浜国立大出身の高校野球監督
富山第一の黒田学監督 甲子園でベスト8へ
野原さんの1学年上の先輩・黒田学さん(45)
黒田さんは富山の魚津高校から横浜国立大へ。そして卒業後、富山第一の監督として2013年と2016年の夏の甲子園に出場し、2013年はベスト8まで進出しています。
※ 管理人(ハンユウ)も準々決勝の富山第一 vs 延岡学園をTVで見てましたが、本当に素晴らしい試合で今でもよく覚えています。それに、富山第一の監督が横浜国大出身ということでとても印象に残っていました。
神奈川屈指の進学校・湘南高校の野球部監督は横浜国立大卒の川村靖さん(62)
川村監督は1979年に静岡・富士高校の投手として夏の甲子園に出場。初戦で高知高校に惜敗しますが延長15回を完投しました。湘南と横浜清陵は年1回程度、練習試合で対戦しているそうです。
一番楽しかったのは家庭科だった
野球部で活躍する一方、大学生として勉学にも力をいれた野原監督。
学業も充実していた。横浜国大は1年生のときに様々な分野の授業を受け、2年生から専門科目を履修するシステムを取っている。1年時に出会ったのが家庭科だった。
「音楽も数学も国語も受けるなかで、一番面白い授業が家庭科でした。一言で表現すれば、『世界の見え方』が変わりました」
食品に込められた生産者の想いから、子供の心身の発達、これからの家族の在り方など、さまざまなことを学んだ。2年生から家庭科を本格的に専攻し、いつしか「高校で家庭科の先生として勝負したい」と思うようになっていた。
そして、教員採用試験を一発で突破し、卒業後は根岸高校に赴任した。
引用: 「激戦 神奈川高校野球 新時代を戦う監督たち」 より
3つの公立高校に赴任する

全国屈指の激戦区・神奈川。県内には横浜、東海大相模、慶應義塾、桐光学園、など甲子園の優勝を狙える強豪がそろい、さらに桐蔭学園、横浜隼人、武相、向上、横浜創学館、平塚学園、日大藤沢などの私学で群雄割拠の状態。
野原監督は私学の壁を破って甲子園へと公立校の野球部で奮闘していきます。
根岸高校
大学院を卒業した後は、まず2007年に根岸高校に赴任しまし5年間をすごしました。
大師高校
2012年から2020年までは大師高校に赴任。
2015年夏にベスト16へ進出。2016年春、2017年夏にもベスト16まで勝ち進み強豪ひしめく神奈川で健闘。
このころ、同じ公立校の白山高校で指揮を執る村田浩明監督(現:横浜高校監督)と知り合い、年に数回も練習試合を組む間柄に。
横浜清陵高校
2020年に異動で横浜清陵高校へ。
2021年夏にベスト8へ。2024年春にも県大会ベスト8に進出。
そして、2024年秋にもベスト8へ進出し、21世紀枠の候補に。
2024 秋の神奈川大会 | 地区予選 | 〇 16-1 横浜緑園・旭陵 | |
〃 | 地区予選 | 〇 4-3 横浜南陵 | |
〃 | 地区予選 | 〇 10-0 横須賀総合 | |
〃 | 2回戦 | 〇 3-0 上矢部 | |
〃 | 3回戦 | 〇 4-1 住吉 | |
〃 | 4回戦 | 〇 5-1 三浦学苑 | |
〃 | 準々決勝 | ● 0-5 東海大相模 |
昨年11月に21世紀枠の神奈川県推薦に選ばれ、12月の地区選考で関東・東京地区の推薦校に。1月24日のセンバツ選考委員会において、壱岐高校とともに第97回センバツ大会の21世紀枠校に選ばれました。
大親友の横浜・村田監督とともに甲子園へ

センバツ出場の2校は神奈川の京急線沿線にあります
1月24日にセンバツ出場の32校が発表され、神奈川からは横浜高校と横浜清陵高校の2校が選ばれました。
「全国屈指の強豪・横浜高校」と「21世紀枠の横浜清陵高校」と
まったく対照的な両校ですが、この両校の監督はともに互いをよく知る親友なのだそうです。
横浜の村田浩明監督がまだ白山高校の監督だったころ、4歳年上の大師高校監督・野原監督と意気投合、互いに公立の野球部を鍛え、そして年に何度も練習試合を組む間柄に。
センバツ出場が決まった翌々日の1月26日、横浜の村田監督が横浜清陵のグランドをサプライズ訪問したそうです。
今春選抜に出場する横浜(神奈川)の村田浩明監督(38)が26日、同じ神奈川から21世紀枠で甲子園初出場を果たした横浜清陵の練習場をサプライズ訪問した。
横浜を指揮する以前、県立校の霧が丘で部長、白山で監督を務めていた時から交流のある野原慎太郎監督(42)との絆は固い。選出の翌々日に異例の訪問が実現し、村田監督は横浜清陵ナインにエールを送った。
「横浜清陵さんと一緒に選抜に出られるということは本当にうれしい。私も(白山の監督として)県立校から甲子園に行くという高い志がありました。本当に目指していたんだけれど(強豪がそろう神奈川で)凄く高い壁があった。
それでも頑張ろうと思えたのは、同じ夢を持つ野原先生がアツい思いを持っていたからです。私は母校に戻ることになり“県立から甲子園に行く”という夢をかなえられず横浜に行き、そしてその夢は野原先生が成し遂げました。甲子園は全国制覇する気持ちでいかないと飲み込まれる舞台です。一緒に神奈川の野球を盛り上げられたらうれしい。チーム横浜でお互いに頑張りましょう」引用:スポニチアネックス 2025年1月26日 より
横浜清陵 野原監督の球歴 まとめ
21世紀枠で選ばれるまでは、横浜清陵??
正直まったく知らない高校でしたが、野原監督の球歴はとても興味深いものでした。
とても印象的なのは、同時にセンバツに出場する横浜・村田監督と大の親友だということ。
全国屈指の強豪校の村田監督と県立高の野原監督の関係がとても素晴らしいですね。
大都市にある普通の県立高の野球部が甲子園でどのような戦いをするか、とても楽しみになりました。
あわせて読みたい
↓ ↓ ↓

コメント